出会いより別れのほうが多かった。一年のあいだ。歳を重ねたせいだろう。感傷はない。繰り返す日がありがたければ、移ろう日もまたありがたい。感謝というより、「ありえない」に近い意味でありがたい。まずはおどろいてしまう。いつもいつも。 冬は西日の色がいい。角度もいい。しかし西日の側からすれば射しているだけ。「いい」だの「悪い」だの、どうだっていい。ただまわっている。それがうれしい。いくらほめても、けなしても微動だにしない。文字通り、空を切る。通じない。ぜんぜん通じない。そんな世界に自分がいる。なんら通じなくとも。「通じなさ」を基礎とした世界に。 記憶とは「包む」ものだと思う。ことばがその包みとして機能する。そんなことを思った。包まずにいれば、こぼれてゆく。ことしは、あまり日記を更新しなかった。時間をかけてしまう。書いては消し、書いては消し。こぼれた。 その代わり、ではないけれど写真を撮っていた。これも包みになる。そういえばこの前、近所の神社で「写真お願いできますか?」と声をかけられた。うしろから。振り返るとスーツ姿の男性がいた。そばにちいさな男の子ふたりと、その母親らしき女性も。着飾っている。七五三詣でのようだった。 若いご夫婦。二つ返事でカメラを預かる。ちょこんとした袴姿の男の子ふたりは、緊張して顔がこわい。双子だという。笑顔が見たくて、「にこにこー」と言いながらおどけてみせた。大きく手を振ると、ためらいがちに振り返してくれた。その隙に撮った。 5枚ほど撮らせてもらう。ちゃんと撮れたか心配になる。いい写真が撮れていますように。「ありがとうございます」とお礼を言われて、くすぐったかった。「こちらこそ」と謎の返事をして立ち去る。ほんとうに、こちらがお礼を言いたい気持ちになった。へんにうれしくて。 写真の依頼はことし三組。うち二組は外国人。みな幸福そうに笑った。レンズ越しの画を鮮明に記憶している。貴重な経験だと思う。すれ違いざま、知らない誰かの目になること。わたしたちの時間を切り取ってほしいと、依頼される。 こんな役があんがい自分にぴったりなのではないか。名もなき通行人Aとして、一瞬だけ目を預かる。思いのほか大役かもしれない。七五三の写真なんか、のちのち長く残りそうなもの。旅行の思い出だって、場合によってはそう。でもわからない。 ...