シロナガスクジラかな。twitterのエラー画面を思い出す。あるいは、韓国ドラマのウ・ヨンウ弁護士は天才肌。さいきんの出来事でクジラといえば、大阪の淀川にあらわれた「淀ちゃん」か。あれはマッコウクジラだった。「さいきん」といっても、すでに懐かしい気がする。ことしの年末にはもう、遙か遠い昔の出来事だろう。「そんな時代もあったね」と薄目で回想されるにちがいない。 年末Covid-19に感染して、そこから調子が戻るまで1ヶ月は要した。いちばんやられたのは喉で、まだ微かに違和感がある。戻ってないじゃん。いや、他人には悟られない。その意味で「戻った」としておく。ただ、たまに咳をすると血の味がこみ上げてくる。これも微かに。気管支炎になりやすいみたいだ。 この冬はできるだけ静かに過ごしたい。可能なら加湿と暖房の効いた部屋で春まで寝ていたい。本でも読みながら。しかし、そんなわけにもいかない。 後遺症として「ブレイン・フォグ」と呼ばれるモヤモヤ感が取り沙汰されるが、それはとくになかった。それとも、頭の回転がつねに鈍いために気がつかないだけか。倦怠感もない。つねに怠いせいで気がつかないだけか……。あとを引く顕著な症状は喉の違和感だけ。 先週、年末に顔を出す予定だった知り合いのおじいさん宅へ、招かれて行った。70代。脳梗塞で2ヶ月くらい入院していた人。退院後、はじめてお会いする。入院前よりお元気そうでよかった。相変わらず、青山繁晴のYouTube動画をすすめてくる。あと「チャンネル桜」。そのお変わりなさにひと安心。 倒れたからすこしは節制しているのかと思えば、それもない。変わらず酒を飲み、煙草をふかす。酒もすすめられたので、自分でつくる。お湯をなみなみと注いで薄めた蕎麦焼酎、雲海。「節制しないんですか?」と問うたら、「俺がそんなことするわけない!」と怒られてしまった。「すみません、健康志向で……」と言って笑う。 世間話の要領で「健康」はなんとなく気にするけれど、不健康を擁護したい思いもある。「健康」ということばの裏には優生思想の影がちらつく。不健康の擁護とは、生命一般とは相反する個人の生の擁護である。ちいさな物語の擁護ともいえる。「俺がそんなことするわけない!」という、「俺」の人生への敬意をもつこと。 なんだかんだ数時間過ごして、「ほら、交通費」とお小遣いをもらう。ありがたい...