12月31日(金) 年の瀬は人々がすこし反省的になる。そんな束の間が肌に合う。年が明ければ「おめでとう」と、仕切り直して未来に向かう。過去に向いていた思いが転じる。くるりと、鮮やかに。花火なんか上げちゃって。 そのじつ、わたしたちは過去のつづきを生きている。なんら終わってなどいない。「自由とは過去の力を抑えることだ」という、レッシグのことばを思い出す。自由とは過去を愛することではないかとわたしは思う。対立的な構図を描いた時点で不自由になる気がする。では、「愛する」とは何か。それはしらない。 この世界は基本的に、死者がつくり出したものだ。生まれてこの方、過去の死者たちがつくった方舟に乗っている。遺伝子から、ことばから、歴史から、物語から……。わたしはただ、その莫大な贈与のうえにいる。生きながら、過去のさまざまな時間の延長に身を浮かべる。ささやかでも、なるべく息のつけるすばらしい過去を見つけ出して、その時間を長く繰り延べたいと思う。未来へ。 ラゾーナ川崎の丸善で、鈴木宏昭『類似と思考 改訂版』(ちくま学芸文庫)と、ジャコモ・レオパルディ『断想集』(幻戯書房)を買った。ほしいと思っていた本を、とりあえず2冊。あまり新刊は買わないのだけど、すこしふんぱつする。年末のショッピングモールは大賑わいだった。「コロナ禍」ってなに? と思うほど。 夏の終わり頃、この冬にはまた感染拡大するのかなーと予想していた。でも、そうでもないみたいだ。すくなくとも、日本では、いまのところ。未来のことはわからないな。 ちらっと見かけた車のナンバーが「777」だった。おしゃれな旧車。そのあと、「111」の軽トラックも見た。「だからなんだ」って感じだけど、それは言わずにおこう。たいせつなのは、引っかかりをおぼえた感情を無視しないこと。どんなに些細なことでも。さしたる意味はない。でも、なんか縁起がいいね。こんなものを、ちいさく意味づけておくとたのしい。 ちょっと書き留めておきたい話。 患者も消費者ですから、私はいつも言うのですが、 消費者は賢いけどイマジネーションはそんなに豊かではありません。だから、 このクラム・シェルでワンプッシュ型の携帯電話が出て来るまでに、消費者は「 パッと押すと開く携帯電話が欲しい。だから作ってくれ」 とパナソニックに言ったわけではないのです。常に企業が...