この写真は名古屋の小学校の壁です。4月24日に撮影。日記を更新していないあいだ、ちょっと旅行しておりました。わたしが2年生まで通っていた小学校です。名古屋から福岡へ転居して、いまは東京。行ってもおぼえていないかなーと思ったけれど、校庭の遊具なんか、変わっていなくて、なつかしすぎて自然と笑みがこぼれるほどでした。あそこぶらさがったなーみたいな。その中でふつうに、体育の授業が行われていた。 名古屋の地下鉄の匂いも、電車が出発するときに鳴る独特の音も、すごくなつかしい。うまく言えませんが、うわーってなる。20年以上も触れ得なかった記憶の領域が、どこにしまわれていたのか、ふっとあおられて静かに浮かぶ。そんな感覚。まだあるんだ。もう戻れないと思っていたけれど、戻れるんだ。なくなっていないんだ。場所も、記憶も。すごい。じぶんのどこにこんな記憶がしまってあるんだろう。脳味噌のふしぎ。人体のふしぎ。 姉に小学校の門の写真を送ったら、「ぜんぜんおぼえてない、や」という返信がきて、いっつもそう、わたしだけがぜんぶおぼえていて、おいてけぼりなんだと、また思った。みんな通りすぎて、忘れる。わたしだけが、異様なまでに細かいことをおぼえている。記憶とふたりぼっちで。取り残される。 それだけ過去から成長していないんだろうな。じぶんも忘れっぽいところは多々あるけれど。わたしもたぶん、なにかをおいてけぼりにしている側でもある。忘れたものは、わからない。なんたって忘れてしまうのだから。確かにあったが、もうじぶんの中には存在しない消えた過去も、数多あるのだろう。 甥がこの4月、小学校に入学したので、姉におめでとうを伝えた。 「成長は喪失をはらむね」と、そんなことばも添えて。 この写真はむかし遊んでいた名古屋の公園。背伸びして飲んでいた水。大きなナメクジがよく這っていて、素手でつかんで遊んでいたっけ。いまの目線だとこんなに低い。すべてがちいさく見える。住んでいた場所から、小学校への距離も遠く遠く感じていたけれど、いま歩いてみると、とても短い。 ここでいつも口をつけて水を飲んでいたら、知らないお兄さんに怒られた。でも口をつけないとわたしは飲めなくて、背も低かったし、不器用でそれ以外のやり方がわからずに、ここで水を飲むことはやめてしまった。記憶の細部がよみがえる。 い...